
今、我々は先に三つの古塔を見学しましょう。中間にある主塔が千尋塔と呼ばれ、千年以上前の南詔国時代に建てられ、方形16層の密集した軒下空心式レンガ塔です。高さは69.13メートルです。塔体には仏龕とアーチ形窓が交互に配置してある。仏龕には仏像と菩薩像が彫刻されてあります。アーチ形窓は塔内の通風と採光に用いられています。大塔の前にある壁に大きな「永鎮山川」の文字が書かれてあります。この文字は500年以上前に大理を討伐する将領の沐英氏の孫である沐世階氏に書かれたのです。大理地域が国泰民安になるような願いを表明しました。
主塔の南と北側にある二つの小塔は800年以上前の大理国時代に建てられ、八角形の10層楼閣式空心レンガ塔です。主塔からそれぞれ70メートル、小塔の間の距離は97メートルです。二つの小塔は主塔より連花や彩雲等の飾り物が多く、主塔と同一時期に建造されたのではないが、非常に調和・統一しています。
伝説によると、昔に塔を建造する時、一段の土を積み上げ、それから、一層の塔を造る。最後に、塔が竣工した後、埋まった土を運び、そうすると、塔は現れてくる方法でした。しかし、専門家の考証によれば、この三塔は先進的な足場を採用し建造されたのです。地震等の原因により、三塔はある程度に傾斜しています。測定結果によると、主塔は西南方向へ0.9度、南の小塔は東北方向へ2.26度、北の小塔は西南方向へ倾斜1.64度傾斜しています。
大理が地震多発地帯にあるため、三つの古塔はできてから無数回の地震と自然災害を経歴しました。1978—1981年、政府は特別支出金を出資し、三つの塔を修復し始めました。修復過程に、主塔の最上層で文化財を680件以上発現しました。これらの文化財は南詔国と大理国の歴史文化の研究に非常に貴重な実物資料を提供しました。