南 澗 跳 菜
2008-01-21 15:41:22 作者:佚名 出所:南涧宣传网 Hits:108
南澗彝族自治県は東経100,006′~100,041′、北緯24,039′~25,010′の間に位置する。雲南省西部、大理州の南部にあり、大理、臨滄、思茅の3ヵ所及び5つの県の接する所である。東に弥渡県に接し、南に思茅地区の景東県に隣接し、西に臨滄地区の鳳慶県、雲県と川を挟んで相対していて、北に巍山彝族回族自治県に山水につながる。国家重点工程小湾発電所の建設の主な現場である。全域には郷と鎮が9つ、村民委員会が80つを管轄し、総面積が1,731.63平方㌔㍍、総人口数が21万人、漢、彝、回、白、苗、布朗(プーラン族)、傈僳族(リースー族)など17民族居住し、そのうち彝族が47.5%を占めている。南澗は歴史が悠久、民族風情が濃厚、山河が優れてきれい、傑出した人物が出てその土地が有名になり、「跳菜の故郷」、「打歌の故郷」、「歌舞の故郷」、緑色貴地、南詔古国南大門と称賛されている。
見知らぬ友人の目には、『南澗跳菜』芸術はまるで一名の変化が激しくてはかり知ることができない奇術師のようで、どういう角度にかかわらず、断層面から見ても、その芸術は円周に美の呼びかけ、美の創造を運行し、始終に前向き美を創造し続いている。
有名な彝族文史学家である劉堯漢教授の『中国文明源頭新探』と『文明中国的彝族十月暦』の本が2冊で、中国文明の源の謎を解明し、中国文明史を万年前まで遡及し、金沙江上流、南哀牢、无量、蒙楽山脈の周辺位置だと定めた。楊秀文先生は『哀牢山十二獣壁画及母虎日暦碑刻探源』の考証報告の中に書いてある『康熙定辺県志』に“聞蛮人精芸,晋珍耍雑,龍顔大開,襲京两月余”と書いてあった。その内容は唐時代南澗虎街土主廟にある「十二獣舞」の壁画及ぶ「母虎日暦」碑石刻の上にある舞踊の跡とちょうど一致するし、母虎を崇拝する「虎族」(彝族)祖先が様々な祭祀活動の中から進展変化が伝わってきたということを指摘した。南詔国繁盛時期になり、第二世彝王羅盛は「奉聖楽」の中に重要な「奉珍耍雑」チームとして上京し、独特な「はげ頭、ヒツジの皮をかけ、お盆を掬い(載せる)、大きいピアス」を特徴とする四大特色、及び何人かの人が重ねて雑技上演を注目点として武則天に称賛されていた。
1984年5月、郷土芸術家は『南澗彝族自治県民族民間舞踊集成』には完璧に「南澗跳菜」を記録した。1991年4月、郷土芸術家はこの民間芸術を舞台に登場した。1998年4月以来、南澗県文化芸術工作者は『南澗跳菜』系列番組を考証、発掘、整理及びイノベーションし、山門を開け、南澗を出、全国に向かって上演し、何度も大理、昆明、北京を沸き立たせた。それゆえに、『南澗跳菜』は何度も全国の重大出演の中に南澗に何回か栄誉を勝ち取った。
『南澗跳菜』の芸術と彝族打歌芸術とも同じ宗派から出て、歴史が長く、芸術が広くて深い。「跳菜」は西南无量、哀牢山脈の上部分の交差点から起源し、南澗県を中心とする原始母系社会時期にあった狩猟、戦争を祝う活動の中にあった恭しく祭る行為であり、唐時代で盛んになった。『南澗跳菜』の舞踊芸術は豪放で、生き生きとした古風で素質であり、一世に秀で、「民族文化芸術の珍しい華」、「東洋飲食文化珍奇の宝」、「世界文化遺産の逸品」と称賛されている。10年を振り返ると、『南澗跳菜』は殆ど国内重大観光年、文化祭りと解けない縁を結んだ。『南澗跳菜』は別名が「抬菜舞」といい、南澗県内の民間に行なわれる宴会で料理を出す時に、尊敬する賓客に踊る礼儀舞踊である。
この舞踊は南澗の広い地域で盛んである。よくある「宴会跳菜」(俗称:実地跳菜という)があり、もう一種類は「舞台跳菜」がある。「宴会跳菜」は結婚披露宴、新築竣工、年配の方への誕生祝いと葬儀をとりしきるときにする。この「跳菜」には料理の出し方により違い、大体で3種類を分けてある。ひとつ目は常軌の踊り方:「跳菜」が始まるとき、音に抑揚や間をもたせ,急に調子を変えたりするチューバとチャルメラの音に、コックが相次いで厨房から出てきて、お盆を載せ、お盆にお皿がいっぱいあり、銅鑼が三回鳴ってから、まず二人が踊りながら、ゆっくり登場する。前と後ろに一人ずつ、違う踊り方をし、怪しい顔立ちを扮装し、無言劇を出演し、ユーモアと滑稽で、互いに配合し合って、妥当で抜群である。一歩一歩で徐々に座席に着き、動作が軽快、優美、流暢、連貫という特徴がある。宴会には「八大碗」により、「回宮八卦陣」、「四季常青」、「水中撈月」、「龍争虎斗」、「龍鳳呈祥」を配置する。一皿の料理は一粒の駒で、固定な位置による順番の料理の出した、すべては昔の規則によりテーブルを配置し、条理整然として乱れない。二つ目は、「空手叠塔跳」と言われている。「跳菜」達人は頭の上に8つの料理があるお盆を載せ、両腕を広げ、両手に別々に8つの料理がある二重のお盆を持っている。両足はリズムの勢いに乗り、チャルメラの音にゆっくり踊りがなら登場し、二人が急に前後だったり、左右だったりして、達人の動きを保護する。したがって、宴会場にいる賓客は驚くが、達人は悠揚せまらぬ、スープの一滴でも茶碗からこぼさない。三つ目は「口功送菜」という。最初は「跳菜」トップの達人は口に柄杓を2本くわえ、柄杓に大きい茶碗の料理がひとつあり、頭の上にお盆を載せ、お盆に8つの料理がある。両腕ずつひとつのお盆を持ち、一つのお盆に8つの料理がある(全部で24皿の料理と茶碗スープが二つで、もうひとつのスープは彼らの仲間が持ってくる)。チャルメラの伴奏の下に踊りながら登場する。口、腕、手首、頭、指の技はすべて使い、開閉整合、ゆっくりとした順番があり、料理の香りがあふれ、一気で精確に三つのテーブル料理を埋めた。素晴らしい出演は決して雑技に劣らなく、人を驚き、絶叫させる。一度も彝家風情を見知ったことない友人にとっては、やはりひとつの得難い見聞と素晴らしい享受であり、すなわち、飲食文化、客を招いて宴を張り、風土民俗の見聞と享受となる。
「舞台跳菜」は出演する場所、或は舞台の大きさにより「舞台跳菜」と「広場跳菜」は分けてある。「舞台跳菜」か「広場跳菜」でも、同じところは使うダンスのステップが「半翻歌、三翻歌、全翻歌、三跥脚、掃脚歌、直歌、攢歌、攢攢歌」という8種類の打歌を中心とし、彝族人民の豊作喜びと素晴らしい憧れを表し、それに、来賓の崇高敬意と深くて厚い愛を表現する。その二つの違いには「舞台跳菜」の出演者が20人以下となり、舞踊の身振りが念入り、調子が様々で頻繁で変わり、出演の質と舞踊のリズムができるだけ非常に熟練している効果になるようにする。が、「広場跳菜」は大きい色彩、全体が気迫に満ちている芸術効果を重視する。出演者が少なくても40人以下でもあり、多くても1,000人以上に達すこともある。「舞台跳菜」は上演する時の歩調により普通に無量山系黒彝族「跳菜」、哀牢山系黒彝族“跳菜”と無量郷紅星村白彝族“跳菜”の三種類は分けてある。無量山系黒彝族「跳菜」は南澗県の西北部に位置し、小湾東鎮、碧溪、公郎、楽秋、擁翠という五つの郷と鎮が含む。当地域では山脈が同じ方向で、水系が源につながり、民族内での付き合いが親しく、「跳菜」が当地域内では独特な風格になった。「跳菜」の形式には、10種類ある。模擬類組合せのは「喜鵲蹲窩」(カササギが巣にいる)、「蒼蝿搓脚」(蝿が足をこする)があり、単純に感情を表すのは「足踏みが2回ひっくり返り、2回回る」、「ダンスのステップが2回ひっくり返り、2回回る」、「3回ひっくり返り、3回回る」、「退歌」、「足踏みが半分ずつひっくり返り、回る」、「一歩で回る」、「合脚」という組合せがあり、蘆笙を吹く者は舞踊チームのリーダーとの組合せがひとつのグループとなり、それに、リーダーが踊るときに蘆笙を吹く者の感情がたいへん変わり、「回身敬酒」、「公羊打架」、「鶴立松尖」、「矮子探水」、「斑鳩找伴」「喜鵲蹲窩」、「狂猴尋親」、「蒼蝿搓脚」等特殊な動作が8種類現れる。哀牢山系黒彝族「跳菜」は南澗県の東南部に位置し、無量郷、宝華鎮の部分的な地域が含む。その山系の「跳菜」には「攢歌」、「四歩歩行式」、「六歩歩行式」、「六歩振動式」、「板橋翻」、「半翻」、「三翻」、「全翻」、「正喜歌」、「三跥脚」等10種類感情を表す舞踊が組合せている。が、無量郷紅星村の白彝族「跳菜」は同じ民族の中に自分のグループになり、独特な種類を形成した。その中に、「老鴰歌」(老鴰はカラスと指す)、「正喜歌」、「歌利得」、「直歌」、「弯脚歌」等5種類の組合せが含み、そのうち、最も風格を持つのは「老鴰歌」と「正喜歌」である。「老鴰歌」はカラスが地面で食べ物を探す時、跳びはねる形態を模倣し、できた模倣舞踊である。「正喜歌」は、又は「掃脚歌」ともいい、おめでたの「跳菜」の時、結末舞踊としての踊り組合せであり、極めて人をうっとりさせ、非常に感情を激発させる。
螞蚱福地村を典型とする「宴席跳菜」は、その村の「跳菜」が建国して以来、村の冠婚葬祭、新築、年配の方に誕生祝いをする時、宴会上で必ず伝統的な「跳菜」儀式を行う。銅鑼が三回鳴ってから、人々が待っていた「跳菜」師匠が登場し、彼の頭の上、手で8つの料理が埋まるお盆を三つ持ち、チャルメラのリズムに乗りながら、左右に振り、前向きに急に遅速だったり、左右だったりして踊る。表情が荘厳だったり、諧調だったりし、満席のお客さんを笑い転げてしまい、笑い声が絶えない。これは舞踊でもあり、雑技の出演でもあり、各方面の村落の人々を集めて一体になり、村の皆さんが「八大碗」を楽しむ前に、「跳菜」という民族精神立派なごちそうを味わっておく。
2000年12月、全国第10回「群星奨」に参加し、広場舞踊番組『南澗跳菜』が銅賞を受賞した。その番組は「彝郷歌韵、澗水狂情、气貫長虹」という三つのシーンあり、伝統な『跳菜』と『打歌』を集めて一体化として、50名の主演者が相次いで演出する。10個のチューバは虎の皮を着ている10名の子供たちが吹きながら登場し、黒いヒツジの皮をかけている20名の彝族男子が「彝族大刀舞踊」のリズムで16歩調「打歌」舞踊を踊り、それから、盛大な「梅花」宴席を四つのテーブルに構成し、大きくて丸いテーブルの下に隠れていた20名女子が「シラサギが海に出る」のように蘆笙を吹きながら登場する。出演するうちに、彝族言葉、彝族の調子、銅羅、チャルメラ、蘆笙、チューバを鳴らし、だんだんと激しくなり、彝族男子は気概山河を呑み、山を押しのけ海を覆す勢いが現れる。それに、女子はうわべが柔順で腹黒い美しさのあでやかな姿、古風で素質であり、剛と柔が存在し、滑稽風韻で、「土而美」の芸術注目点を形成し、人に味わいが尽きない。オランダ友人ブラウンム様が『南澗跳菜』の番組を見た後で、“わたしは南澗の原始森林に入り、まるでユートピアの新島、夢の聖地に入ったようである。彝族地域の「跳菜舞踊」を見て、内心はこの上もなく最高状態の境界に達し、心も沐浴で浄化された満足を得た”とこのように言った。
1985年の調査資料によると、県内には大小の「民間跳菜隊」が23チームあり、民間「跳菜芸能人」が268人達したと表明した。その中、無量郷阿比庄村の李貴華、何昌元,宝華鎮光楽村の伽正龍、伽正加,小湾東鎮龍門村の李雲亮、周紹文、公郎鎮鳳嶺村的茶洪祥、何正良、碧溪郷新虎村的査政龍、蔡文武、楽秋郷東昇村的羅忠沢、普文輝,南澗鎮団山村的李国茂、羅家富、以上の人が最も際立つ。その抜群な「跳菜芸能人」は何世代から何十世代まで家伝家訓から出た。ある人は弟子をとったりし、ある人は弟子を取ってはならない。が、永遠に変わらない遺訓があり、一旦誘われて「跳菜」をすれば、必ず精一杯でお客さんを「喜びに心が弾み、食欲がよくなり、機嫌が良くて帰宅する」ということがなるようにさせなければならない。このことから分かるように、「跳菜」の規模が大小に関わらず、その作用は人心を凝集する基礎である。
1991年4月から郷土芸術家達は「宴席跳菜」を舞踊番組に改編し、芸術舞台に登場するようになった。「跳菜」という別に一派をなす1種類の民間芸術は中国飲食文化の珍貴な宝、民族文化芸術の珍しい華になったわけで、世に名を知られる。
「南澗民族民間跳菜隊」は前後に招きに応じて国内の公演コンテストに906回参加し、観衆が632.5万余りに達し、影響があまねく海外、国内に及ぶ。そのうち、最も代表的な演出は1991年4月、南澗跳菜隊が大理州民間音楽、舞踊コンテストに参加し、「跳菜」番組が音楽特別奨を受賞した。10月、雲南省民間音楽、舞踊コンテストに参加し、音楽と舞踊の1等賞を受賞した。1992年2月、第三回中国芸術「跳雲南」夕べに出演の1等賞を受賞した。1993年5月、『在延安文芸座談会上講発表50周年』を記念する際、「云南民間音楽舞踊演出団」と同行して上京し、北京で演出した。観衆に情熱に歓迎されたり、専門家達に好評されたり、もとの中央指導幹部高占祥、丁関根、王忍之に面会されたりし、それに、全員の農民出演者と記念写真を撮った。
1994年6月29日から7月8日まで、「南澗跳菜隊」は一行21名、招きに応じて国務院三峡地区経済開発弁公室、国家観光客、四川、湖北両省人民政府、中共重慶市委、武漢人民政府と中国舞踊協会が共同で開催された「中国舞踊三峡の夏」大型文芸公演に参加した。重慶、葛洲壩、万県、宜昌、武漢等地域で当地の観衆に歓迎を得られた。9月8日から10月11日まで第3回中国観光芸術の広東歓楽祭り組織委員会から招きを応じて、「南澗跳菜隊」は広州東方楽園に赴き、66シーン公演し、観衆が10万余りに達し、各新聞社、ラジオ局が「南澗跳菜」番組を報道したあとで、社会各分野及び中外観衆に特別に関心されていた。11月16日から23日まで「南澗跳菜隊」は一行58名、招きに応じて麗江に深圳万科文化伝播有限公司と上海映画製作所が共同で制作された『藍陵王』の断片に出演した。それゆえに、「南澗跳菜」は上品な場所に登場するようになり、映画化になった。それに、映画に伴って世界に向かって進んだ。12月初頭、「南澗跳菜隊」は一行18名、招きに応じて昆明市で国家観光局と云南省人民政府が共同で開催された「94年中国国内観光交易会」の文芸公演に参加し、来賓と指導者に高度に褒められた。元雲南省省長和志強は「雲南は決してもっと南澗のような民族芸術逸品をするものだ」と指摘した。
1995年5月16日から10月29日まで「南澗跳菜隊」は一行15名「云南土風芸術団」の招きに応じて山西大同、北京等に赴いて5ヶ月出演し、行ったところで当地観衆に愛顧を受けた。1998年5 月、大理州三月街民族祭りで出演するとき、「南澗跳菜」は中央テレビ第2チャンネルに「特定のテーマ」という番組を制作されたうえで、プライムタイムに放送された。6月、昆明で開催された第6回アジア民間芸術祭りの「山水狂情」文芸特別公演に参加し、再び昆明を沸き立たせた。12月、「南澗跳菜隊」は昆明世界園芸博覧会開会式の大型舞踊組織委員会の招請に応じて、『天地浪漫曲』の主題歌音楽にアフレコする時、農民出演者が原始、豪放な叫びと「天人合一」、「人と自然諧調」というテーマ思想が合致して録音し、正式に『天地浪漫曲』のアフレコメロディーを採用された。1999年6月、中央テレビ「心連心」芸術団「情深誼長」組織に参加し、有名な俳優と同じ舞台で出演し、中外専門家と名家に高度に褒められた。2000年8月、再度全域民族歌舞芸術注目点が集まる大型彝族舞踊『南澗跳菜』を創作し、全国第10回「群星奨」広場舞踊コンテストに参加し、銅賞を受賞した。2001年4月、大理三月街民族祭り開会式大型文芸公演『千年盛会世紀高歌』の第3シーン「彝山放歌」に、800名の彝山男子は『南澗跳菜』を出演し、「矮樁歩」の豪放としての低位動作とおどける技巧性出演が千年盛会を高潮に進めた。
2001年8月12日から14日まで南澗は自分の脚色と監督、演芸能力を依拠し、成功に「第1回南澗跳菜芸術祭り」を開催した。芸術祭りには迎賓の夕べ『彝山情』、大型文芸公演『跳菜の故郷‐‐南澗』、『かがり火の夕べ』が三つ構成していた。32代表チームは2,243名出演者が46の文芸番組と音楽を出演し、党の十一届三中全会以来、南澗民族文化芸術創作の新しい成果、経験、水平を充分に展示された。気勢が盛大、場面が壮観、絢爛多彩のわけで南澗文化芸術創作の歴史上で前例を見ない盛大な催しを形成し、自治県の民族気魄と民族文化文化芸術は歴史が長く、繁栄し盛んになり、及び改革開放中に人民の斬新な精神風貌を体現し、南澗自身にも観光業開発の扉を開けた。「第1回南澗跳菜芸術祭り」は有名である白族青年舞踊家楊麗萍がご光臨、指導し、それに、彼女が出演した有名な舞踊『雀之灵』のきれいな雰囲気で幕を下ろした。海外及び国内専門家に「第1回南澗跳菜芸術祭りは中国特色、雲南水平、大理風格、南澗独産」と高度に褒められた。
2001年春節以来、中央テレビはそれぞれに第一、三、四、六チャンネルと西部開発チャンネルで『南澗跳菜』の素晴らしい断片を16回放送した。『人民日報』、『中国文化報』、『云南日報』、『大理日報』、『民族論壇』、『民族工作』等34家の新聞紙に『跳菜之郷話跳菜』、『打歌之郷話打歌』、『彝郷観跳菜』、『雄渾的彝山歌舞』、『鋳造民族精魂的傑作』、『加強民族団結,促進芸術繁栄』等記事、情報を36編、『万民狂歓慶佳節』、『狂歌勁舞』等図面資料を76幅発表した。大理州テレビ局をはじめ、全州12の県市『第1回南澗跳菜芸術祭り』を生放送し、それに『沐浴南澗の風』、『話説南澗跳菜芸術』のDVDを2枚制作した。『雲南テレビ局』と『昆明テレビ局』で放送したあとで、反響が非常に大きかった。
2001年10月、中共南澗県委、南澗県人民政府は全域の民間跳菜歌舞の発展状況により、正式に得勝郷、無量郷、宝華鎮、沙楽郷、楽秋郷、公郎鎮、碧溪郷、小湾東鎮痛が8ヵ所の「跳菜民間芸術の故郷」と命名された。南澗鎮と擁翠郷が2ヵ所の「打歌民間芸術の故郷」と命名された。無量華山村、宝華擁政村等が6ヵ所の「跳菜打歌民間芸術の故郷」と命名された。虧紹南、李栄清等が34世代の「打歌の家柄」と命名された。李貴華、何昌元等が34世代「跳菜家柄」と命名された。羅家富、李伸等が36世代「民間音楽の家柄」と命名された。
2001年11月1日から9日まで『南澗跳菜隊』は一行42名、招きに応じて中国国際観光交易大会開会式の大型文芸公演『雲南に入り込む』に参加して出演し、同じで中外観衆に好評された。『雲南日報』、『都市晩報』、『雲南経済日報』、『春城晩報』等10家以上新聞紙に『南澗跳菜が観光交易大会』、『跳菜王子領舞』等情報を発表し、「小湾発電所」をフラッグシップとする観光産業を推進し、人心を奮い起こさせる進軍ラッパを吹き出した。
2003年3月、国家文化部は正式に南澗県を『中国「南澗跳菜」芸術の故郷』と命名され、その名を書いてある金の扁額を授与された。今まで『南澗跳菜』は全県の範囲内ですごく盛んで、跳菜芸術の普及率が86.21%に達している。
見知らぬ友人の目には、『南澗跳菜』芸術はまるで一名の変化が激しくてはかり知ることができない奇術師のようで、どういう角度にかかわらず、断層面から見ても、その芸術は円周に美の呼びかけ、美の創造を運行し、始終に前向き美を創造し続いている。
有名な彝族文史学家である劉堯漢教授の『中国文明源頭新探』と『文明中国的彝族十月暦』の本が2冊で、中国文明の源の謎を解明し、中国文明史を万年前まで遡及し、金沙江上流、南哀牢、无量、蒙楽山脈の周辺位置だと定めた。楊秀文先生は『哀牢山十二獣壁画及母虎日暦碑刻探源』の考証報告の中に書いてある『康熙定辺県志』に“聞蛮人精芸,晋珍耍雑,龍顔大開,襲京两月余”と書いてあった。その内容は唐時代南澗虎街土主廟にある「十二獣舞」の壁画及ぶ「母虎日暦」碑石刻の上にある舞踊の跡とちょうど一致するし、母虎を崇拝する「虎族」(彝族)祖先が様々な祭祀活動の中から進展変化が伝わってきたということを指摘した。南詔国繁盛時期になり、第二世彝王羅盛は「奉聖楽」の中に重要な「奉珍耍雑」チームとして上京し、独特な「はげ頭、ヒツジの皮をかけ、お盆を掬い(載せる)、大きいピアス」を特徴とする四大特色、及び何人かの人が重ねて雑技上演を注目点として武則天に称賛されていた。
1984年5月、郷土芸術家は『南澗彝族自治県民族民間舞踊集成』には完璧に「南澗跳菜」を記録した。1991年4月、郷土芸術家はこの民間芸術を舞台に登場した。1998年4月以来、南澗県文化芸術工作者は『南澗跳菜』系列番組を考証、発掘、整理及びイノベーションし、山門を開け、南澗を出、全国に向かって上演し、何度も大理、昆明、北京を沸き立たせた。それゆえに、『南澗跳菜』は何度も全国の重大出演の中に南澗に何回か栄誉を勝ち取った。
『南澗跳菜』の芸術と彝族打歌芸術とも同じ宗派から出て、歴史が長く、芸術が広くて深い。「跳菜」は西南无量、哀牢山脈の上部分の交差点から起源し、南澗県を中心とする原始母系社会時期にあった狩猟、戦争を祝う活動の中にあった恭しく祭る行為であり、唐時代で盛んになった。『南澗跳菜』の舞踊芸術は豪放で、生き生きとした古風で素質であり、一世に秀で、「民族文化芸術の珍しい華」、「東洋飲食文化珍奇の宝」、「世界文化遺産の逸品」と称賛されている。10年を振り返ると、『南澗跳菜』は殆ど国内重大観光年、文化祭りと解けない縁を結んだ。『南澗跳菜』は別名が「抬菜舞」といい、南澗県内の民間に行なわれる宴会で料理を出す時に、尊敬する賓客に踊る礼儀舞踊である。
この舞踊は南澗の広い地域で盛んである。よくある「宴会跳菜」(俗称:実地跳菜という)があり、もう一種類は「舞台跳菜」がある。「宴会跳菜」は結婚披露宴、新築竣工、年配の方への誕生祝いと葬儀をとりしきるときにする。この「跳菜」には料理の出し方により違い、大体で3種類を分けてある。ひとつ目は常軌の踊り方:「跳菜」が始まるとき、音に抑揚や間をもたせ,急に調子を変えたりするチューバとチャルメラの音に、コックが相次いで厨房から出てきて、お盆を載せ、お盆にお皿がいっぱいあり、銅鑼が三回鳴ってから、まず二人が踊りながら、ゆっくり登場する。前と後ろに一人ずつ、違う踊り方をし、怪しい顔立ちを扮装し、無言劇を出演し、ユーモアと滑稽で、互いに配合し合って、妥当で抜群である。一歩一歩で徐々に座席に着き、動作が軽快、優美、流暢、連貫という特徴がある。宴会には「八大碗」により、「回宮八卦陣」、「四季常青」、「水中撈月」、「龍争虎斗」、「龍鳳呈祥」を配置する。一皿の料理は一粒の駒で、固定な位置による順番の料理の出した、すべては昔の規則によりテーブルを配置し、条理整然として乱れない。二つ目は、「空手叠塔跳」と言われている。「跳菜」達人は頭の上に8つの料理があるお盆を載せ、両腕を広げ、両手に別々に8つの料理がある二重のお盆を持っている。両足はリズムの勢いに乗り、チャルメラの音にゆっくり踊りがなら登場し、二人が急に前後だったり、左右だったりして、達人の動きを保護する。したがって、宴会場にいる賓客は驚くが、達人は悠揚せまらぬ、スープの一滴でも茶碗からこぼさない。三つ目は「口功送菜」という。最初は「跳菜」トップの達人は口に柄杓を2本くわえ、柄杓に大きい茶碗の料理がひとつあり、頭の上にお盆を載せ、お盆に8つの料理がある。両腕ずつひとつのお盆を持ち、一つのお盆に8つの料理がある(全部で24皿の料理と茶碗スープが二つで、もうひとつのスープは彼らの仲間が持ってくる)。チャルメラの伴奏の下に踊りながら登場する。口、腕、手首、頭、指の技はすべて使い、開閉整合、ゆっくりとした順番があり、料理の香りがあふれ、一気で精確に三つのテーブル料理を埋めた。素晴らしい出演は決して雑技に劣らなく、人を驚き、絶叫させる。一度も彝家風情を見知ったことない友人にとっては、やはりひとつの得難い見聞と素晴らしい享受であり、すなわち、飲食文化、客を招いて宴を張り、風土民俗の見聞と享受となる。
「舞台跳菜」は出演する場所、或は舞台の大きさにより「舞台跳菜」と「広場跳菜」は分けてある。「舞台跳菜」か「広場跳菜」でも、同じところは使うダンスのステップが「半翻歌、三翻歌、全翻歌、三跥脚、掃脚歌、直歌、攢歌、攢攢歌」という8種類の打歌を中心とし、彝族人民の豊作喜びと素晴らしい憧れを表し、それに、来賓の崇高敬意と深くて厚い愛を表現する。その二つの違いには「舞台跳菜」の出演者が20人以下となり、舞踊の身振りが念入り、調子が様々で頻繁で変わり、出演の質と舞踊のリズムができるだけ非常に熟練している効果になるようにする。が、「広場跳菜」は大きい色彩、全体が気迫に満ちている芸術効果を重視する。出演者が少なくても40人以下でもあり、多くても1,000人以上に達すこともある。「舞台跳菜」は上演する時の歩調により普通に無量山系黒彝族「跳菜」、哀牢山系黒彝族“跳菜”と無量郷紅星村白彝族“跳菜”の三種類は分けてある。無量山系黒彝族「跳菜」は南澗県の西北部に位置し、小湾東鎮、碧溪、公郎、楽秋、擁翠という五つの郷と鎮が含む。当地域では山脈が同じ方向で、水系が源につながり、民族内での付き合いが親しく、「跳菜」が当地域内では独特な風格になった。「跳菜」の形式には、10種類ある。模擬類組合せのは「喜鵲蹲窩」(カササギが巣にいる)、「蒼蝿搓脚」(蝿が足をこする)があり、単純に感情を表すのは「足踏みが2回ひっくり返り、2回回る」、「ダンスのステップが2回ひっくり返り、2回回る」、「3回ひっくり返り、3回回る」、「退歌」、「足踏みが半分ずつひっくり返り、回る」、「一歩で回る」、「合脚」という組合せがあり、蘆笙を吹く者は舞踊チームのリーダーとの組合せがひとつのグループとなり、それに、リーダーが踊るときに蘆笙を吹く者の感情がたいへん変わり、「回身敬酒」、「公羊打架」、「鶴立松尖」、「矮子探水」、「斑鳩找伴」「喜鵲蹲窩」、「狂猴尋親」、「蒼蝿搓脚」等特殊な動作が8種類現れる。哀牢山系黒彝族「跳菜」は南澗県の東南部に位置し、無量郷、宝華鎮の部分的な地域が含む。その山系の「跳菜」には「攢歌」、「四歩歩行式」、「六歩歩行式」、「六歩振動式」、「板橋翻」、「半翻」、「三翻」、「全翻」、「正喜歌」、「三跥脚」等10種類感情を表す舞踊が組合せている。が、無量郷紅星村の白彝族「跳菜」は同じ民族の中に自分のグループになり、独特な種類を形成した。その中に、「老鴰歌」(老鴰はカラスと指す)、「正喜歌」、「歌利得」、「直歌」、「弯脚歌」等5種類の組合せが含み、そのうち、最も風格を持つのは「老鴰歌」と「正喜歌」である。「老鴰歌」はカラスが地面で食べ物を探す時、跳びはねる形態を模倣し、できた模倣舞踊である。「正喜歌」は、又は「掃脚歌」ともいい、おめでたの「跳菜」の時、結末舞踊としての踊り組合せであり、極めて人をうっとりさせ、非常に感情を激発させる。
螞蚱福地村を典型とする「宴席跳菜」は、その村の「跳菜」が建国して以来、村の冠婚葬祭、新築、年配の方に誕生祝いをする時、宴会上で必ず伝統的な「跳菜」儀式を行う。銅鑼が三回鳴ってから、人々が待っていた「跳菜」師匠が登場し、彼の頭の上、手で8つの料理が埋まるお盆を三つ持ち、チャルメラのリズムに乗りながら、左右に振り、前向きに急に遅速だったり、左右だったりして踊る。表情が荘厳だったり、諧調だったりし、満席のお客さんを笑い転げてしまい、笑い声が絶えない。これは舞踊でもあり、雑技の出演でもあり、各方面の村落の人々を集めて一体になり、村の皆さんが「八大碗」を楽しむ前に、「跳菜」という民族精神立派なごちそうを味わっておく。
2000年12月、全国第10回「群星奨」に参加し、広場舞踊番組『南澗跳菜』が銅賞を受賞した。その番組は「彝郷歌韵、澗水狂情、气貫長虹」という三つのシーンあり、伝統な『跳菜』と『打歌』を集めて一体化として、50名の主演者が相次いで演出する。10個のチューバは虎の皮を着ている10名の子供たちが吹きながら登場し、黒いヒツジの皮をかけている20名の彝族男子が「彝族大刀舞踊」のリズムで16歩調「打歌」舞踊を踊り、それから、盛大な「梅花」宴席を四つのテーブルに構成し、大きくて丸いテーブルの下に隠れていた20名女子が「シラサギが海に出る」のように蘆笙を吹きながら登場する。出演するうちに、彝族言葉、彝族の調子、銅羅、チャルメラ、蘆笙、チューバを鳴らし、だんだんと激しくなり、彝族男子は気概山河を呑み、山を押しのけ海を覆す勢いが現れる。それに、女子はうわべが柔順で腹黒い美しさのあでやかな姿、古風で素質であり、剛と柔が存在し、滑稽風韻で、「土而美」の芸術注目点を形成し、人に味わいが尽きない。オランダ友人ブラウンム様が『南澗跳菜』の番組を見た後で、“わたしは南澗の原始森林に入り、まるでユートピアの新島、夢の聖地に入ったようである。彝族地域の「跳菜舞踊」を見て、内心はこの上もなく最高状態の境界に達し、心も沐浴で浄化された満足を得た”とこのように言った。
1985年の調査資料によると、県内には大小の「民間跳菜隊」が23チームあり、民間「跳菜芸能人」が268人達したと表明した。その中、無量郷阿比庄村の李貴華、何昌元,宝華鎮光楽村の伽正龍、伽正加,小湾東鎮龍門村の李雲亮、周紹文、公郎鎮鳳嶺村的茶洪祥、何正良、碧溪郷新虎村的査政龍、蔡文武、楽秋郷東昇村的羅忠沢、普文輝,南澗鎮団山村的李国茂、羅家富、以上の人が最も際立つ。その抜群な「跳菜芸能人」は何世代から何十世代まで家伝家訓から出た。ある人は弟子をとったりし、ある人は弟子を取ってはならない。が、永遠に変わらない遺訓があり、一旦誘われて「跳菜」をすれば、必ず精一杯でお客さんを「喜びに心が弾み、食欲がよくなり、機嫌が良くて帰宅する」ということがなるようにさせなければならない。このことから分かるように、「跳菜」の規模が大小に関わらず、その作用は人心を凝集する基礎である。
1991年4月から郷土芸術家達は「宴席跳菜」を舞踊番組に改編し、芸術舞台に登場するようになった。「跳菜」という別に一派をなす1種類の民間芸術は中国飲食文化の珍貴な宝、民族文化芸術の珍しい華になったわけで、世に名を知られる。
「南澗民族民間跳菜隊」は前後に招きに応じて国内の公演コンテストに906回参加し、観衆が632.5万余りに達し、影響があまねく海外、国内に及ぶ。そのうち、最も代表的な演出は1991年4月、南澗跳菜隊が大理州民間音楽、舞踊コンテストに参加し、「跳菜」番組が音楽特別奨を受賞した。10月、雲南省民間音楽、舞踊コンテストに参加し、音楽と舞踊の1等賞を受賞した。1992年2月、第三回中国芸術「跳雲南」夕べに出演の1等賞を受賞した。1993年5月、『在延安文芸座談会上講発表50周年』を記念する際、「云南民間音楽舞踊演出団」と同行して上京し、北京で演出した。観衆に情熱に歓迎されたり、専門家達に好評されたり、もとの中央指導幹部高占祥、丁関根、王忍之に面会されたりし、それに、全員の農民出演者と記念写真を撮った。
1994年6月29日から7月8日まで、「南澗跳菜隊」は一行21名、招きに応じて国務院三峡地区経済開発弁公室、国家観光客、四川、湖北両省人民政府、中共重慶市委、武漢人民政府と中国舞踊協会が共同で開催された「中国舞踊三峡の夏」大型文芸公演に参加した。重慶、葛洲壩、万県、宜昌、武漢等地域で当地の観衆に歓迎を得られた。9月8日から10月11日まで第3回中国観光芸術の広東歓楽祭り組織委員会から招きを応じて、「南澗跳菜隊」は広州東方楽園に赴き、66シーン公演し、観衆が10万余りに達し、各新聞社、ラジオ局が「南澗跳菜」番組を報道したあとで、社会各分野及び中外観衆に特別に関心されていた。11月16日から23日まで「南澗跳菜隊」は一行58名、招きに応じて麗江に深圳万科文化伝播有限公司と上海映画製作所が共同で制作された『藍陵王』の断片に出演した。それゆえに、「南澗跳菜」は上品な場所に登場するようになり、映画化になった。それに、映画に伴って世界に向かって進んだ。12月初頭、「南澗跳菜隊」は一行18名、招きに応じて昆明市で国家観光局と云南省人民政府が共同で開催された「94年中国国内観光交易会」の文芸公演に参加し、来賓と指導者に高度に褒められた。元雲南省省長和志強は「雲南は決してもっと南澗のような民族芸術逸品をするものだ」と指摘した。
1995年5月16日から10月29日まで「南澗跳菜隊」は一行15名「云南土風芸術団」の招きに応じて山西大同、北京等に赴いて5ヶ月出演し、行ったところで当地観衆に愛顧を受けた。1998年5 月、大理州三月街民族祭りで出演するとき、「南澗跳菜」は中央テレビ第2チャンネルに「特定のテーマ」という番組を制作されたうえで、プライムタイムに放送された。6月、昆明で開催された第6回アジア民間芸術祭りの「山水狂情」文芸特別公演に参加し、再び昆明を沸き立たせた。12月、「南澗跳菜隊」は昆明世界園芸博覧会開会式の大型舞踊組織委員会の招請に応じて、『天地浪漫曲』の主題歌音楽にアフレコする時、農民出演者が原始、豪放な叫びと「天人合一」、「人と自然諧調」というテーマ思想が合致して録音し、正式に『天地浪漫曲』のアフレコメロディーを採用された。1999年6月、中央テレビ「心連心」芸術団「情深誼長」組織に参加し、有名な俳優と同じ舞台で出演し、中外専門家と名家に高度に褒められた。2000年8月、再度全域民族歌舞芸術注目点が集まる大型彝族舞踊『南澗跳菜』を創作し、全国第10回「群星奨」広場舞踊コンテストに参加し、銅賞を受賞した。2001年4月、大理三月街民族祭り開会式大型文芸公演『千年盛会世紀高歌』の第3シーン「彝山放歌」に、800名の彝山男子は『南澗跳菜』を出演し、「矮樁歩」の豪放としての低位動作とおどける技巧性出演が千年盛会を高潮に進めた。
2001年8月12日から14日まで南澗は自分の脚色と監督、演芸能力を依拠し、成功に「第1回南澗跳菜芸術祭り」を開催した。芸術祭りには迎賓の夕べ『彝山情』、大型文芸公演『跳菜の故郷‐‐南澗』、『かがり火の夕べ』が三つ構成していた。32代表チームは2,243名出演者が46の文芸番組と音楽を出演し、党の十一届三中全会以来、南澗民族文化芸術創作の新しい成果、経験、水平を充分に展示された。気勢が盛大、場面が壮観、絢爛多彩のわけで南澗文化芸術創作の歴史上で前例を見ない盛大な催しを形成し、自治県の民族気魄と民族文化文化芸術は歴史が長く、繁栄し盛んになり、及び改革開放中に人民の斬新な精神風貌を体現し、南澗自身にも観光業開発の扉を開けた。「第1回南澗跳菜芸術祭り」は有名である白族青年舞踊家楊麗萍がご光臨、指導し、それに、彼女が出演した有名な舞踊『雀之灵』のきれいな雰囲気で幕を下ろした。海外及び国内専門家に「第1回南澗跳菜芸術祭りは中国特色、雲南水平、大理風格、南澗独産」と高度に褒められた。
2001年春節以来、中央テレビはそれぞれに第一、三、四、六チャンネルと西部開発チャンネルで『南澗跳菜』の素晴らしい断片を16回放送した。『人民日報』、『中国文化報』、『云南日報』、『大理日報』、『民族論壇』、『民族工作』等34家の新聞紙に『跳菜之郷話跳菜』、『打歌之郷話打歌』、『彝郷観跳菜』、『雄渾的彝山歌舞』、『鋳造民族精魂的傑作』、『加強民族団結,促進芸術繁栄』等記事、情報を36編、『万民狂歓慶佳節』、『狂歌勁舞』等図面資料を76幅発表した。大理州テレビ局をはじめ、全州12の県市『第1回南澗跳菜芸術祭り』を生放送し、それに『沐浴南澗の風』、『話説南澗跳菜芸術』のDVDを2枚制作した。『雲南テレビ局』と『昆明テレビ局』で放送したあとで、反響が非常に大きかった。
2001年10月、中共南澗県委、南澗県人民政府は全域の民間跳菜歌舞の発展状況により、正式に得勝郷、無量郷、宝華鎮、沙楽郷、楽秋郷、公郎鎮、碧溪郷、小湾東鎮痛が8ヵ所の「跳菜民間芸術の故郷」と命名された。南澗鎮と擁翠郷が2ヵ所の「打歌民間芸術の故郷」と命名された。無量華山村、宝華擁政村等が6ヵ所の「跳菜打歌民間芸術の故郷」と命名された。虧紹南、李栄清等が34世代の「打歌の家柄」と命名された。李貴華、何昌元等が34世代「跳菜家柄」と命名された。羅家富、李伸等が36世代「民間音楽の家柄」と命名された。
2001年11月1日から9日まで『南澗跳菜隊』は一行42名、招きに応じて中国国際観光交易大会開会式の大型文芸公演『雲南に入り込む』に参加して出演し、同じで中外観衆に好評された。『雲南日報』、『都市晩報』、『雲南経済日報』、『春城晩報』等10家以上新聞紙に『南澗跳菜が観光交易大会』、『跳菜王子領舞』等情報を発表し、「小湾発電所」をフラッグシップとする観光産業を推進し、人心を奮い起こさせる進軍ラッパを吹き出した。
2003年3月、国家文化部は正式に南澗県を『中国「南澗跳菜」芸術の故郷』と命名され、その名を書いてある金の扁額を授与された。今まで『南澗跳菜』は全県の範囲内ですごく盛んで、跳菜芸術の普及率が86.21%に達している。
2008-01-21 15:41:22 編集責任者:blizzard








