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甚だ伝奇色彩の『張勝温画梵像巻』
2008-01-21 13:54:32  作者:佚名  出所:苍洱五百年  Hits:148  
 南詔大理国仏教画像は『張勝温画梵像巻』としての保存が最もよい。   
 『張勝温画梵像巻』は大理国有名な画家張勝温が執行した上で、盛德五年(紀元1180年)に描いた幅の長い仏教絵である。紙本に色をつけ、長さが全部で1,635.5センチ、幅が30.4センチ、134幅を分けてある。絵巻には以下のように3つの部分を分けている。一つ目は「利貞皇帝礼仏図」を描いてある。二つ目は仏と菩薩、金剛羅漢、天竜八部、中土禅宗法系及び大理国高僧をかいてある。三つ目は天竺十六国王衆を描いてある。絵巻には天竺原始仏教、中土開宗の仏教と大理国特有な仏教の画像が3組構成している。目前、一般的にこの絵巻は張勝温が執行した上で、一口の大理国時代の画家団体が描いたものだったが、張勝温が独自でできたものでなかったと思っている。描いた内容が錯雑であるが、南詔大理国時代の仏教盛況を反映するから、たいしたことはない。                                           
 『張勝温画梵像巻』の伝わる過程は甚だ伝奇色彩で、7篇の跋文でこの過程の輪郭を描き出した。大理国聖德五年に張勝温はわざと利貞皇帝(段智興)に天子のお姿での絵巻を描いた。描いた目的は「以利蒼生」で、「家用国興,身安富有」を祈願した。明の初めに、絵巻が金陵(南京)天界寺に流れ込んだ。それから、民間で300年あまり転々とした。清乾隆年代、この絵巻は清宮殿の画庫に出現し、清高宗乾隆皇帝弘歴が見た後で、大いに賞賛し、自筆で跋文を書いた。文書に「卷中諸像,相好庄厳,傅色涂金,并極精彩。楮質復淳古堅致,与金粟箋相埒。旧画流伝若此,信可宝貴,不得以蛮徽描工所為而忽之」と絵巻を称された。また、乾隆皇帝は「丁観鵬が『蛮王礼仏図』に基づいて四天王像から、仏と菩薩、二宝幢まで『法界源流図』を模写する」と命令した。『法界源流図』は瀋陽博物館に現存されている。1944年に『張勝温画梵像巻』は重慶で展示して以来、この絵巻はずっと歴史学界を吸引するし、特に考古学界の興味である。米国学者Helen.B.Chapinは「雲南の観音像」にはこの絵巻の観音画像を利用し、文書と共に一枚の写真を発表した。徐嘉瑞の『大理古代文化史』には李為衡が書いた『大理国張勝温梵画長巻略記』を収録されている。方国瑜、羅庸等先生も相次いで跋文を執筆した。20世紀60年代、台湾学者李霖燦先生が書いた『南称大理国新資料の総合研究』には全部でカラーの紙面で『張勝温画梵像巻』を載せ、学術業界がこの絵巻に直観的な認識をさせた。近年来、両岸文化交流が頻繁で、大勢の大陸学者は台湾に赴き、台北故宮博物館でこの絵巻の真筆が見られた。更に喜べるように、もと瀋陽博物館に収蔵された丁観鵬の『蛮王礼仏図』もやっと世人と顔を会わせた。絵巻は『法界源流図』と比べて研究すると、絵巻自身に対するばかりでなく、絵巻に反映する阿叱力教派への認識にももっと深める。当年、丁観鵬が絵巻を模写したとき、チベット仏教の生き仏章嘉国師を顧問とし、章嘉国師がチベット仏教の憲法と法律の伝統に基づいて絵巻を判断し、改めて訂正し、密教に属さないと思った部分を削除し、例えば『大理国僧衆』だった。が、削除された部分は阿叱力教派の特有であり、チベット仏教に異なるところである。
 『張勝温画梵像巻』に描いた内容は剣川石鐘山石窟の内容と十分に似ている。仏像の部分は阿叱力教派が崇拝する観音諸像、仏母、毘盧遮那仏、大日遍照仏、阿闋如来、大理国高僧、金剛護法、舎利宝塔、曼陀羅図像、経幢等のほかに、また中土顕教禅宗、華厳宗法統及び像の中土禅宗六祖,荷沢宗二祖,十六羅漢等顕宗像があり、南詔13代国王が103幅目に「十一面観音」の下にあり、供える人である。ここで討論しなければならない問題について、この絵巻の密教と顕教像はある研究者が指摘したように、一が分かれて二となり、各々お互いに何の関係もない。一方、密顕教の2種類が互いに混じるこの状態は分割できない全体であり、阿叱力教派自身の伝統と特徴である。筆者は中原仏教やチベット仏教を伝統として分析し、絵巻に描いた阿叱力教派像を判断し、密、顕教を区分するやり方は章嘉国師が阿叱力教派の特徴を理解していない軽率なやり方を繰り返し、研究者が阿叱力教派の認識を矛盾させる。だから、同時に密教と顕教の神様、本主神袛及び山川自然の神を崇拝して供えたのは阿叱力教派一貫の伝統であったが、顕教皆修は阿叱力教派重要な修習方法である。